アクシリオは、2001年に生まれました。
発売当時から、「洗顔料と保湿ジェルの2つだけでスキンケアが完了する」というコンセプトを変えることなく、現在も販売を続けています。
アクシリオは、累計226万本(2019年1月実績)の販売実績があり、10万人以上の方に使っていただきました。
この販売数や使用人数は、大手の化粧品会社に比べると、少ない数かもしれません。
でも、私たちのようなテレビCMや雑誌広告を行わない、小さく無名な会社の化粧品がこれだけの方に使っていただけるなんて、不思議だと思いませんか?
さらに、アクシリオのリピート率は、97.8%です。
無名の化粧品を多くの人がリピートしています。
これも不思議だと思いませんか?
自分で言うのもなんですが、私は不思議です。
だから、お客様にアンケートを取りました。
帰ってきたアンケートを見ると、よく分からない理由でした。
その理由とは、『乾燥肌・敏感肌の人が作った化粧品だから』です。
この『乾燥肌・敏感肌の人』というのは、私のことです。
私が乾燥肌・敏感肌だから、アクシリオを愛用しているというのです。
どうやら私の肌質は、化粧品を使いたくなる魅力にあふれているようです。
普通じゃない乾燥肌・敏感肌から生まれたアクシリオ
アクシリオは、乾燥肌・敏感肌である私の肌質をもとにしてつくりました。
そのため、普通肌の方には良さが伝わりにくいかもしれません。
反面、乾燥肌や敏感肌の方には、その良さを実感していただけることが多いです。
アクシリオの開発段階から、ずっと私自身の肌で実験を行ってきました。
なぜなら、私の肌は乾燥肌で、まれにみる敏感肌だからです。
アクシリオの開発を始めたころ、私の肌は、基本的にカサカサで、ちょっとした刺激でヒリヒリして、すぐにブツブツができるし、物理的な刺激に弱いため少しの衝撃で肌が切れていました。
ほんとに泣けるぐらい悲惨な肌質なので、私の弱い肌にも使えて、刺激を与えず、美容効果があれば、ほとんどの人に使えるだろうと考えました。
現在、私はアラフィフですが、化粧品を開発する過程で、乾燥肌・敏感肌が改善して、20代のころよりキレイな肌を手に入れました。
アクシリオを使っているお客様からも……
「あきらめていた敏感肌が改善しました」
「鏡を見るたびに辛かった乾燥肌がプルプル肌になりました」
「人前に出るのが辛かったのに、今では、周りから肌がきれいでいいねと言われます」
など、毎日、喜びの声をたくさんいただいています。
この20年近くの結果を見ると、私の肌を実験台にしてアクシリオを開発するという考えは間違っていなかったと思います。
とは言え、私の肌が、どの程度の乾燥肌・敏感肌を改善できたのか、気になるところだと思います。
まずは、私の肌質を説明いたしますので、あなたの肌質と比較してください。
その結果、私よりもひどい肌質だったら、アクシリオを使ってもダメかもしれません。
逆に、私よりも軽度であれば、あなたの肌荒れが改善する可能性が高いです。
あなたの肌にアクシリオが役立てれば幸いです。
普通じゃない私の肌質
私は、生まれつき色白で肌が弱く、子供のころから、ちょっとしたことでかぶれたり、炎症を起こしていました。
友達と同じように草むらを駆け回っているのに、私だけ手や足がかぶれることもよくありました。
犬や猫など、友達と同じように動物を触っても私だけブツブツができることもありました。
同じように外で遊んで日焼けしても、私の肌だけ赤くなり、痛くなりました。
日焼けが治る時間も、倍以上かかりました。
とは言え、子供のころは新陳代謝が活発なため、治りも早く、2~3日我慢すれば、日常生活にそれほど支障はありませんでした。
ところが18歳を超えたころから肌荒れが深刻化してきました。
肌は、18~20歳ころをピークに老化します。
通常は、ピークを過ぎてから徐々に衰えるのですが、私の場合は一気に老化の波が押し寄せてきました。
ただ、これは当時の食生活や生活環境による部分もあると思います。
当時の私は大学生で、学校にはほとんど行かず、バイトと遊びにと、自堕落な生活を送っていました。
もともと勉強に興味がなく、大学に進学した理由も親の要望と遊ぶ時間を確保したかったからです。
本当にダメ人間でした。
当時は、タバコもお酒も大好きでした。
食事もめちゃくちゃで、お腹が減ったらお菓子かジャンクフードを食べていました。
家にも帰らず、友人の家をフラフラと渡り歩いていました。
将来は、飲食店をやりたかったので、バイトは頑張っていました。
うどん屋、やきとり屋、カレー屋、お好み焼き屋、居酒屋など、いろんな種類の飲食店でバイトをして、多いときは3つ掛け持ちしていました。
バイトと遊びに忙しくて、まともに寝ていたのは3日に1度ぐらいでした。
おかげで、ただでさえ弱い肌はさらにボロボロになりました。
もちろん、体もボロボロになって、20歳のころ、髄膜炎になって死にかけました。
肌と体に悪い生活を4年間続けていたために、就職した22歳のころには、弱かった肌は、さらにボロボロになっていました。
肌は常にカサカサで乾燥しています。
ニキビや吹き出物は、常にどこかにありました。
赤みやかゆみも同様です。
このような普通の肌荒れも適度に辛かったのですが、私の肌質は悪化の一途をたどり、どんどん悲惨な状況に追い込まれていきました。
いつの間にか私の肌は、日常生活を阻害する肌質になっていました。
こうして、生まれつき弱かった私の肌は『普通では考えられないほど敏感な肌に』なってしまいました。
まぁ、半分は自業自得ですけどね。
大学を卒業後、本当は飲食店をやりたかったのですが、親から「せっかく大学を出したのだから、就職すべきだ」と言われ、私も一般企業での経験がいつか役立つかもと思い、建築関連の企業に営業職として就職しました。
営業職なので、スーツを着るのですが、これが私のボロボロの肌と相性が最悪でした。
とにかく肌の乾燥がひどくて、常に、皮膚が剥がれ落ちて、スーツの上にフケのように降り注いでいました。
当時の営業マンと言えば、スーツの色は黒か紺が主流だったので、剥がれた皮膚がやたら目立ちました。
営業先の人から、「風呂、ちゃんと入ってる?」と言われて、非常に苦痛でした。
ワイシャツとも相性が悪かったです。
ヨレヨレのワイシャツだと相手からの印象も悪いので、糊付けしたパリッとしたワイシャツを着る必要があります。
ところが糊付けをすると、ワイシャツの生地が硬くなります。
これが私の敏感肌に刺激を与えます。
特に、襟の部分。
仕事中、ずっと首のあたりがヒリヒリ・チクチクします。
おかげで帰宅後ワイシャツを脱ぐと、首に360度、真っ赤な線が引かれていました。
散髪も辛かったです。
ひげを剃ってもらうのですが、確実に出血しました。
特に、あごの部分の出血率は100%です。
最初は、美容師がヘタクソだからと思っていたのですが、誰に剃ってもらっても出血します。
事前に、「あごは100%血が出ます」と言ってもダメでした。
美容師の方も、「こんな事初めてだ。どんなに注意しても血が出てしまう」と首をかしげていました。
私の肌は、非常に薄いのか、物理的な刺激にも弱くなっていました。
老化がすすむ最大の原因である紫外線に対しても、私の肌は無類の弱さを発揮しました。
不用意にプールなんか行って、テンション上がって、時間を忘れて遊んでいると地獄に落ちます。
一緒に行ったメンバーは、赤くなっていないのに、私だけ肌に水ぶくれ(水泡)ができます。
やけどの症状と同じです。
特に肩がひどかったです。
肩にできた水ぶくれは、服との摩擦で大きく育ちます。
大体、直径5㎝程度の大きさになって、パンパンになります。
その後、はちきれて潰れます。
水ぶくれが潰れると、そこから菌が入って化膿します。
今度は、膿でプルプルになった水ぶくれができます。
これも服との摩擦で育ちます。
そして、膿でいっぱいになった水ぶくれもはちきれます。
この際、膿のにおいが周辺に漂います。
これが臭いんです。
起きているときならまだしも、寝ているときに潰れると悲惨です。
枕やシーツに膿がべっとりとつきます。
さらに悲惨なのは、シャツと肩が膿によって一体化します。
これをお風呂でお湯をかけながらはがすのですが、それがかなり痛いのです。
その後、消毒するのですが、この消毒も傷口にしみて痛い。
消毒した後も、服との摩擦で炎症が起きて、そこに菌が入って……
痛みのエンドレスです。
このときは、完治するまで一ケ月以上かかりました。
毎日、朝起きるのが嫌でした。
これ以降、完全にトラウマになって、プールではしゃぐことはなくなりました。
海水浴は、ここ20年一度も行ってません。
そして、紫外線対策には、万全を期すようになりました。
ただ、一度だけ30代のころにスタッフとチュービングに行ったときに、久しぶりに紫外線の洗礼を受けました。
季節は夏も終わりかけの9月。
時間は、AM10:00。
天気は曇り。
ラッシュガード着用。
所要時間1時間程度。
完全に油断していました。
季節も外れてるし、曇りだし、ラッシュガードも着てるので大丈夫だと思っていました。
でも、無防備だった太ももから下の部分を日焼けしてしまいました。
私とスタッフの一人が日焼けしました。
そのスタッフも色白で太ももから下が赤くなっていました。
でも、翌日にはちょっとかゆいぐらいで治まっていました。
私はというと、ひざから下が真っ赤になったあと、赤黒く変色して硬くなりました。
肌が固くなり突っ張った状態になったせいで足を曲げることが出来ずに、歩行も困難でした。
足がピンとまっすぐ伸びて、安物のロボットみたいな歩き方でした。
ついでに、熱も出て3日間寝たきりでした。
その後、日焼け部分に3㎜程度の小さい水泡が無数にできて、それが次々に潰れました。
これが地味に痛い。
その後、皮がベロベロにめくれました。
10年越しに紫外線の洗礼を受けました。
私にとって紫外線は、季節や天気を問わず、365日油断してはいけない存在です。
普通じゃない化粧品会社社員
生まれつきの肌の弱さと大学時代の乱れ切った4年間で、すさまじく悪化した私の肌質。
当時の私にスキンケアの知識はなく、次々と襲い掛かってくる肌荒れにやられ放題でした。
そんな中、紆余曲折と偶然が重なり、化粧品の製造をしている会社に就職することになりました。
もし、私が乾燥肌・敏感肌でなければ、興味すら持たなかったでしょう。
そういった意味では、必然だったのかもしれません。
営業職で入社したのですが、当時の私は「化粧水って何?水を肌に塗ってなんかいいことあるの?水をお金出して買う人いるの?」というレベルでした。
また、自分の乾燥肌と敏感肌について、深く知りたいと思ったので、その会社の会長に、「化粧品のことをもっと深く理解したいので、研究と製造の勉強をしたい」と直談判しました。
その当時は、正当な権利だと思っていましたが、よく考えると生意気ですね。
でも、私は、我慢が足りなく、やりたいことは何があってもやる性分なので仕方ありません。
このことで、一部の幹部には嫌われてしまいました。
でも、会長は私のことを気に入ってくれて、快く許可してくれました。
おかげで、化粧品の研究や開発に関する知識、製造方法など、化粧品にかかわることをたくさん教えてもらいました。
また、学ぶだけでなく、実際に経験することができました。
研究開発はもちろん、化粧品の製造・充てん・キャップ締め、梱包など、化粧品を作ってから出荷させるまでのすべての業務を経験することができました。
これが、非常に大きかったです。
通常、化粧品会社で働いていても、一部の仕事しかしません。
そのため、知識や技術も一部に限定されてしまいます。
限られた一部しか知らないと、工夫の余地が少なくなってしまい、良い化粧品を作ることができません。
でも、すべてを知っていれば、それだけ工夫の余地が増えます。
それによって、良い化粧品を作る可能性が増えます。
例えば、化粧品を充てんした後に行うキャップ締めや梱包などは、一般的にパートさんの仕事です。
そのため、社員はあまりしません。
だから、パートさんの不満を聞くことはありません。
パートさんが不満を持つと、ミスが多発します。
ミスが増えると、それがコストに加算されます。
つまり、化粧品の価格が上がります。
これは、当然ですよね。
逆に、パートさんの仕事がやりやすくなると、ミスが減ります。
だから、化粧品の価格を節約することができます。
私は、当時、化粧品メーカーのブランド開発(OEM)を担当していたのですが、この経験から、パートさんの仕事がやりやすい商品づくりを心がけていました。
おかげで、コストの節約はもちろん、納期の短縮など多くのメリットがありました。
このように、化粧品は研究や開発がすべてと思いがちですが、実際は、それ以外にも多くの要素があります。
だからこそ、化粧品にかかわるすべての仕事を知っているというのは化粧品を作る上で大きな財産になります。
私見ですが、会社が大きくなればなるほど、パートさんと肩を並べて仕事を経験した化粧品開発者はいないと思います。
個人的には、いっぱい学ぶことがあるのに、すごくもったいないと思います。
化粧品の知識が増えてくると、比例してやりたいことも増えてきました。
自分の理想の化粧品を作りたくなってきたのです。
私にとって理想とは、自分の悲惨な肌質を改善することです。
でも、そんな個人的な願望を一会社員の私が叶えられる訳がありません。
あまり知られていないことですが、自社で製造施設をもつ化粧品会社というのは得手不得手があります。
例えば……
シャンプーを作るのは得意だけど、クリームは苦手。
メイク料を作るのは得意だけど、基礎化粧品は苦手。
石鹸を作るのは得意だけど、化粧水は苦手。
など。
すべてのジャンルを得意とする化粧品会社は、世の中に存在しません。
だから、どんなに大きな化粧品メーカーでも不得意な部分は外注しています。
私が就職した会社も製造設備をもっており、得意分野は当時珍しかったオールインワンジェルです。
オールインワンジェルを作る技術はすごかったのですが、そのほかは不得手でした。
そのため、必然的に得られる情報や経験が限られています。
これは、どこの化粧品会社でも言えることです。
私は、すべての化粧品の中で一番肌に良い商品を作りたいと考えていました。
ここで私の「一度やりたくなると我慢できない」という悪癖がさく裂します。
ただ、さすがに自分勝手に辞めたわけではありません。
ものすごくお世話になった会社なので、できるだけ迷惑はかけたくありませんでした。
一応、入社する際に、会長には「将来、どんな業種になるか分からないけど、独立します」
と言っていました(これも生意気ですね)
また、私をかわいがってくれた幹部の方が「井上君みたいなタイプは、会社員は向かないよ。独立したほうが良いよ」と後押ししてくれました。
その結果、それほど迷惑をかけずに独立することができました。(たぶん……)
そうすることで、得意分野を持ついろんな化粧品製造企業と繋がって、一番肌にいい化粧品を作ろうと思いました。
会社員時代の人脈やコネを使わないことを約束して独立しました。
最初は、化粧品製造企業と協力することすら大変でした。
それもそのはず、当時の私は26歳。
今でこそ、20代の経営者は珍しくありませんが、20年前はあまりいませんでした。
珍しく20代の経営者がいても、ほとんどは2代目や3代目でした。
創業者で20代はかなり珍しかったです。
おかげで、信用がゼロで化粧品製造企業と契約する際に、非常に苦労しました。
日本全国、何十社回ったか分かりません。
それでも、『捨てる神あれば拾う神あり』です。
知り合いの紹介を経て、化粧品製造企業と契約。
偶然、会社の所在地である大阪で見つかりました。
乾燥肌・敏感肌から生まれたアクシリオ
私は、独立前から、いろいろな化粧品を試していました。
市販のものだけでなく、研究所でも研究員に手伝ってもらいオリジナルの化粧品を作って試していました。
独立した後も理想の化粧品を求めて試し続けていました。
無数の化粧品を試した経験から、徐々に肌に良い化粧品の要素が分かってきました。
今まで辛い思いをしてきた弱い弱い肌が大活躍です。
少しでも肌に悪い要素があると、ヒリヒリして赤くなります。
ひどいときはニキビや湿疹ができます。
だから、すぐに化粧品の良し悪しを判断できます。
その結果、乾燥肌・敏感肌にとって、肌に良い化粧品の要素は、たった2つだと確信しました。
- 肌への刺激を減らすこと
- 保湿すること
この2つには、異常なほどこだわりました。
肌に刺激を与える要素を徹底的に排除しました。
その結果、アクシリオは、敏感肌にやさしい化粧品になりました。
保湿にも特化しました。
保湿以外の要素はすべて捨て去りました。
おかげでアクシリオは効果的な保湿ができる化粧品になりました。
こう書くと、簡単にできたように思えますが、実際は大変でした。
『アッチを立てればコッチが立たず』の連続です。
試作も何十回繰り返したか分かりません。
ただ、試作を繰り返すたびに手ごたえを感じていました。
その手ごたえを糧に何とか完成することができました。
試作段階から、刺激テストに、自分の肌を使いました。
最初は、少しヒリヒリを感じたり、赤くなることがありました。
さすがは、普通じゃない敏感肌です。
私の肌は、少しの刺激も見逃しません。
保湿効果もイマイチで、私の乾燥肌はカサカサのままでした。
でも、完成が近づくにつれて、刺激は少なくなり、保湿効果はアップしました。
実際に、アクシリオを使う過程で、肌への刺激を減らして保湿効果の高い状態を維持すれば、乾燥肌・敏感肌が劇的に改善することに確信が持てました。
アクシリオが完成するころには、私の乾燥肌も改善して、カサカサ肌から、プルプル肌に変わりました。
ポロポロと肌が剥がれ落ちることも無くなりました。
ニキビや吹き出物ができることもかなり減りました。
顔の赤みやかゆみも同様です。
「もしかしたら、自分の肌だけにいいのかな?」と思って、家族やスタッフに使ってもらっても私と同じように肌荒れが改善しました。
その後、思い切って販売を開始した後も、乾燥肌や敏感肌に悩む多くの方が喜んでくれました。
私を苦しめた肌質にも、今では少しだけ感謝しています。
乾燥肌・敏感肌だったから、アクシリオを生み出すことができました。
私の肌質を知って、ちょっと信用してもらって、10万人以上の方に使ってもらうことができました。
乾燥肌・敏感肌に悩む方から、「ありがとう」とお礼を言われる喜びを知ることができました。
もし、あなたの肌質が私の肌質と同等か、それよりマシであれば、あなたの望む結果にたどり着く可能性は高いと思います。
私たちも一緒に、あなたのキレイな肌を取り戻すお手伝いをさせていただきます。
もし、少しでも興味があるなら、一度、アクシリオを試してみてください。
500円のお試しセットで、あなたの人生が変わるかもしれませんよ。